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内蔵の町“増田商人”のルーツへ 銀行 水力発電の痕跡今も

(雪国TODAY2018年7・8月号/全文2060文字/写真6枚)

神棚が上がっている金庫の扉を開くと黒塗りの「増田銀行」の金庫が現れた。
北都銀行(旧羽後銀行)発祥の地、横手市増田町の支店に現存する歴史の痕跡。
かつて隆盛を極めた増田商人。その遺伝子を引き継ぐ子孫が秋田駅前西口の再開発、県外資本に対抗する秋田資本の風力発電を引っ張る。増田商人のルーツに触れるため横手市増田町を訪ねた。(敬称略)

北都銀行増田支店に残る「増田銀行」の金庫

秋田市の千秋公園堀のハスのつぼみが膨らみかけた6月6日夜、秋田キャッスルホテル7階レストランは華やいでいた。

 

恒例の秋田市増田会。出席者は増田と縁の深い秋田市で活躍する経済人が目立つ。新会長に就いた久米田和太郎があいさつに立った。

「人口減少が進む古里増田を応援していきたい。重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)全国大会開催を地域活性のきっかけにしよう」

増田からも地元経済人らが駆けつけた。

 

増田会の1 週間後。「蔵の町・増田を訪ね、増田商人の原点を肌で感じてほしい」。北都ビルディング7階の応接室で久米田和太郎(73)は窓の外に目を移した。

 

北都銀行を退職後、同行と親密な会社の秋田不動産サービス社長に就任。秋田駅西口再開発で「生涯活躍するまちづくり(CCRC)」の核となる17階建て複合施設建設の陣頭指揮を執る。

秋田駅西口再開発に奔走する久米田和太郎

内蔵が集中する七日町通りを町文化財協会副会長の佐藤豊と歩いた。保存地区の通りは電柱の地下埋設工事が急ピッチで進んでいた。

今春発行された『増田歴史散歩』を編さん、執筆した佐藤はその中でこう述べている。

 

——「横手をしのぐ」と言われるほど明治、大正、昭和初期の増田は繁栄してい

 

る。注目されるのは葉たばこと養蚕。県内随一の集散地として繁栄した。

それを支えた増田商人は富を蓄えていった。県内唯一の葉煙草(たばこ)専売所があった。こうした事業を通して彼らは商人地主へと成長していった。

 

特筆されるのは松浦千代松。国の刻み煙草の製造を請け負う会社は繁栄していたが、煙草製造の国営化で会社は解散に追い込まれている。

しかし、松浦は補償金で電力事業を興した。県内で初めて電灯が灯ったのも増田だったーー

電力会社を創業した松浦家の人々が暮らした旧松浦家住宅(右)

1895年(明治28年)、久米田の祖父、正之助が中心となって増田銀行を創立している。正之助はその前年に県議会議員を辞職し、かねて研究を重ねていた銀行設立に邁進。増田の実力者や有志の同意を得ての銀行設立だった。

 

正之助は幼少期に寺小屋で学び、青年期からは上京して法律学校へ。大資産家ではなかった正之助が政治や事業で増田をリードできたのは、幼少期から勉学に励んだ彼の努力と、その彼を受け入れてバックアップした当時の増田商人の気質よるものだった。

 

前出の電力事業について付け加えると、松浦は町の有志と資金を出し合ってドイツに渡ってシーメンス社製の水力発電機を買い付けている。

1941年の電力統制法によって国に接収されるまで発展を続け、東北有数の発電会社に育っていた。

 

北都ビルディング7 階のウエンティ・ジャパン社。現在10基2万2190㌔㍗の風力発電を手掛ける。北都銀行シンクタンクが出資する秋田資本の企業。

 

社長の佐藤裕之は「私のルーツは増田にあります。先祖は直接ではないが増田の電力会社設立と運営に関わっている。先祖がかつて作った地域エネルギーという形を、風力を使って今の時代に改めて実践している」と不思議な縁を感じる。

その佐藤もまた、風力発電の風車の購入などでフィンランドなどを視察した。

 

増田まちなみ保存会会長の佐藤又六家の自宅を兼ねた蔵で、1871年(明治4年)から動き続けている米国製の時計が時を刻んでいた。

「増田商人の子孫たちが町を出てからも事業家として各地で活躍している。町外の事業家へと嫁いだ女性の子どもたちも代を重ねながら増田商人の遺伝子を引き継いでいる」と当主の12代又六。

佐藤又六家12代又六

日の丸醸造社長佐藤譲治


通りを歩く観光客が「この空き家いい感じね。日本家屋の伝統美を感じる」

今は空き家となっている水力発電会社を興した旧松浦家住宅を通り過ぎた。その並びにある北都銀増田支店はかつて久米田家のあった場所にある。

そのまた先にある名酒「まんさくの花」の日の丸醸造。

社長の佐藤譲治は一文を寄せている。

——先代の親父(光男)は、秋田生まれというわけではなく、この日の丸醸造立て直しのためにきたというのが始まりです。創業300年となっていますが、戦時中に一度潰れています。秋田にはまったく地縁がなく苦労したと思います。

(中略)私はただ、秋田で生まれたというだけで、先祖からのルーツがこの地にあるというわけではありませんーー

 

その佐藤は40年間閉じていた古い蔵についても述べている。

——うちは金銭的な理由で新しいものに建て替えることができなかった。ですがそれがいまになり、二度と作れない蔵として逆に日の目を浴びていますーー

300年続く蔵元の文庫蔵が圧倒的な存在感を放っていた。