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秋田市の那珂さんが“酒場放浪記 スマートフォンにアップ

(雪国TODAY2018年7.8月号/全文740文字/写真2枚)

動画「酒のアテこの一品」をアップした那珂さん。ロンドのカウンター席で 5月の最後の夜、ソファで寝っ転がってスマートフォンの動画を見ていたら突然、秋田市の見慣れた街角が出てきた。市役所裏の道を初老の男が歩き、何かつぶやいている。

 

「酒のアテこの一品」をアップした那珂さん。ロンドのカウンター席で

 

「酒のアテこの一品」をアップした那珂さん。ロンドのカウンター席で

――若い頃観た異色の西部劇『男の出発』という映画のワンシーンでカウボーイたちが荒野で火を囲みながら話をしている。その中の一人が言った。「街の好きなところは街に入る時と荒野へ帰る時だ」。このセリフが私の頭の中に残っているのは共感できるからだ――

 

71歳の男の足取りは軽やかで、つぶやきは続く。

――ただ私の場合「居酒屋の好きなところは店の暖簾をくぐって入る時と帰る時だ」と思っている――

 

カメラのアングルが変わり「清美食堂」の暖簾がアップに。清美食堂は家族経営で、低価格と家庭料理が山王界隈の公務員や会社員に愛され続ける“大衆酒場”の名店だ。アルマイト風ステンレスに入った肉鍋が人気。

 

男のつぶやきはさらに続く。

――私が必ず注文するのは肉鍋。肉鍋が頭に浮かんだ時は「清美食堂」、清美食堂が頭に浮かんだ時は「肉鍋」。誰にも邪魔されず鍋を睨みながら酒を飲むのが楽しい。この肉鍋はカツオの出汁をベースに豚肉と野菜の旨味が出てあっさりしているわりには奥深い――

 

肉鍋のうんちくも始まった。

――食べ方によっては変化も楽しめる。例えば半熟卵を崩して食べれば醤油がしみ込んだ豆腐や肉がまろやかになり、半熟卵を崩さず食べれば、透きとおった醤油スープが楽しめる。これで日本酒3合はいける。店を出る時は「食った!飲んだ!」――

 

 男の名前は那珂静男さん。秋田市大町にあるジャズスポット「ロンド」のマスター。ドラマ、CM の映像監督など多彩な顔を持つ。著書『月夜は遠回りして帰ろう』はユーモアとペーソスに溢れる。

――家人が待つ自分の店に戻る時、店のドアを開けるオドオド感で今までの気持ち良い酔いが一気にさめるのが残念だ――

 

那珂さんの「酒のアテこの一品」シリーズは5月31日夜からアップ。YouTube の動画でも楽しめる。

 

帰郷移住変わる男鹿半島 それぞれの生き方をビジネスに

(雪国TODAY2018年7.8月号/全文5130文字/写真16枚)

コントラバスの調べが秋田県男鹿半島五里合の田んぼを包んだ。夕刻、男鹿真山の麓に近いなまはげの里の農家民宿の主人は宿泊客の準備に追われていた。
なまはげライン沿いの農道にあるブルーベリー農園。オーナー家族が一日の仕事を終え、併設したカフェでくつろいでいる。坂の途中のあじさい寺の見頃とともに初夏の半島が輝き出した。(敬称略)

コントラバスの調べが男鹿半島五里合の里山の田んぼを包んだ

 

北浦の海を見下ろす坂道の途中にある「あじさい寺 雲昌寺」の1200株のアジサイが見頃を迎えた。

県内各地で地域住民と県外からの訪問者との交流が深まっている。人と人とのつながりを支援するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が地域を変えていく新しい力に。

男鹿市役所5階の地域おこし協力隊の一室で大谷心(24)はナマハゲの面の制作に励んでいた。兵庫県出身。秋田公立美術大学を卒業すると同時に秋田県が推進する地域おこし事業に身を投じた。
「大学で美術を学んだ。初めて男鹿を訪れたとき、ナマハゲの圧倒的な芸術性、存在感に衝撃を受けた。こんな民俗芸術を育んだ男鹿市に住みながら地域活動をしたいと思った」。

地域おこし協力隊の一室で大谷心

なまはげの面を被ってみせてくれた同じ協力隊の伊藤春樹(26)は能代市出身。秋田大学を卒業後に協力隊に参加した。2人はともに任期は3年。全国各地から男鹿への定住を考えている人たちの相談にのり、情報を発信する。「移住を望む人には、まずは現地に来てもらう。協力隊員も移住者なので男鹿を客観的に見ることができる。一緒に半島を歩き、良い点も悪い点も包み隠さず話す」と伊藤。

2018年4月1日現在、秋田県内では1県10市5町2村の自治体で57人が地域おこし協力隊員として活動中だ。国から生活費などの支援を受けながら、おおむね1年以上3年以下の期間、地域に移り住んで住民の生活支援や地域の活性化などに取り組んでいる。

隊員は地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR活動で地域おこしを支援し、農林水産業への従事、住⺠の生活支援などの活動を行いながら地域への定住・定着を図る取り組みを行っている。

2017年2月、総務省は同隊を受け入れた自治体が863と前年の1.3倍以上となり、隊員数が16年に政府が目標としていた4000人を上回ったと発表した。その後も各地で協力隊員の増加が続く。

北浦の海を見下ろす坂道の途中にある雲昌寺。アジサイが咲き誇る

 

東京・不忍池を渡る風に乗ってコントラバスの調べが上野の森に流れ、散策する人たちが耳を澄ました。

この日、上野のビルの一室でキッチハイクの食事会が開かれた。男鹿市五里合琴川の里山の集落で自家焙煎コーヒー豆の販売とカフェ珈音(かのん)を営む店主はコーヒー豆とコントラバスを持参して食事会に参加した。

参加者は家族連れを含め15人ほど。SNSでつながった全国各地の人たちが集まった。「きょうは、みんなで食べよう」をコンセプトに料理を作る人(COOK) と食べる人(HIKER)が普通のレストランでは体験できない各地の郷土料理などを味わった。

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内蔵の町“増田商人”のルーツへ 銀行 水力発電の痕跡今も

(雪国TODAY2018年7・8月号/全文2060文字/写真6枚)

神棚が上がっている金庫の扉を開くと黒塗りの「増田銀行」の金庫が現れた。
北都銀行(旧羽後銀行)発祥の地、横手市増田町の支店に現存する歴史の痕跡。
かつて隆盛を極めた増田商人。その遺伝子を引き継ぐ子孫が秋田駅前西口の再開発、県外資本に対抗する秋田資本の風力発電を引っ張る。増田商人のルーツに触れるため横手市増田町を訪ねた。(敬称略)

北都銀行増田支店に残る「増田銀行」の金庫

秋田市の千秋公園堀のハスのつぼみが膨らみかけた6月6日夜、秋田キャッスルホテル7階レストランは華やいでいた。

 

恒例の秋田市増田会。出席者は増田と縁の深い秋田市で活躍する経済人が目立つ。新会長に就いた久米田和太郎があいさつに立った。

「人口減少が進む古里増田を応援していきたい。重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)全国大会開催を地域活性のきっかけにしよう」

増田からも地元経済人らが駆けつけた。

 

増田会の1 週間後。「蔵の町・増田を訪ね、増田商人の原点を肌で感じてほしい」。北都ビルディング7階の応接室で久米田和太郎(73)は窓の外に目を移した。

 

北都銀行を退職後、同行と親密な会社の秋田不動産サービス社長に就任。秋田駅西口再開発で「生涯活躍するまちづくり(CCRC)」の核となる17階建て複合施設建設の陣頭指揮を執る。

秋田駅西口再開発に奔走する久米田和太郎

内蔵が集中する七日町通りを町文化財協会副会長の佐藤豊と歩いた。保存地区の通りは電柱の地下埋設工事が急ピッチで進んでいた。

今春発行された『増田歴史散歩』を編さん、執筆した佐藤はその中でこう述べている。

 

——「横手をしのぐ」と言われるほど明治、大正、昭和初期の増田は繁栄してい

 

る。注目されるのは葉たばこと養蚕。県内随一の集散地として繁栄した。

それを支えた増田商人は富を蓄えていった。県内唯一の葉煙草(たばこ)専売所があった。こうした事業を通して彼らは商人地主へと成長していった。

 

特筆されるのは松浦千代松。国の刻み煙草の製造を請け負う会社は繁栄していたが、煙草製造の国営化で会社は解散に追い込まれている。

しかし、松浦は補償金で電力事業を興した。県内で初めて電灯が灯ったのも増田だったーー

電力会社を創業した松浦家の人々が暮らした旧松浦家住宅(右)

1895年(明治28年)、久米田の祖父、正之助が中心となって増田銀行を創立している。正之助はその前年に県議会議員を辞職し、かねて研究を重ねていた銀行設立に邁進。増田の実力者や有志の同意を得ての銀行設立だった。

 

正之助は幼少期に寺小屋で学び、青年期からは上京して法律学校へ。大資産家ではなかった正之助が政治や事業で増田をリードできたのは、幼少期から勉学に励んだ彼の努力と、その彼を受け入れてバックアップした当時の増田商人の気質よるものだった。

 

前出の電力事業について付け加えると、松浦は町の有志と資金を出し合ってドイツに渡ってシーメンス社製の水力発電機を買い付けている。

1941年の電力統制法によって国に接収されるまで発展を続け、東北有数の発電会社に育っていた。

 

北都ビルディング7 階のウエンティ・ジャパン社。現在10基2万2190㌔㍗の風力発電を手掛ける。北都銀行シンクタンクが出資する秋田資本の企業。

 

社長の佐藤裕之は「私のルーツは増田にあります。先祖は直接ではないが増田の電力会社設立と運営に関わっている。先祖がかつて作った地域エネルギーという形を、風力を使って今の時代に改めて実践している」と不思議な縁を感じる。

その佐藤もまた、風力発電の風車の購入などでフィンランドなどを視察した。

 

増田まちなみ保存会会長の佐藤又六家の自宅を兼ねた蔵で、1871年(明治4年)から動き続けている米国製の時計が時を刻んでいた。

「増田商人の子孫たちが町を出てからも事業家として各地で活躍している。町外の事業家へと嫁いだ女性の子どもたちも代を重ねながら増田商人の遺伝子を引き継いでいる」と当主の12代又六。

佐藤又六家12代又六

日の丸醸造社長佐藤譲治


通りを歩く観光客が「この空き家いい感じね。日本家屋の伝統美を感じる」

今は空き家となっている水力発電会社を興した旧松浦家住宅を通り過ぎた。その並びにある北都銀増田支店はかつて久米田家のあった場所にある。

そのまた先にある名酒「まんさくの花」の日の丸醸造。

社長の佐藤譲治は一文を寄せている。

——先代の親父(光男)は、秋田生まれというわけではなく、この日の丸醸造立て直しのためにきたというのが始まりです。創業300年となっていますが、戦時中に一度潰れています。秋田にはまったく地縁がなく苦労したと思います。

(中略)私はただ、秋田で生まれたというだけで、先祖からのルーツがこの地にあるというわけではありませんーー

 

その佐藤は40年間閉じていた古い蔵についても述べている。

——うちは金銭的な理由で新しいものに建て替えることができなかった。ですがそれがいまになり、二度と作れない蔵として逆に日の目を浴びていますーー

300年続く蔵元の文庫蔵が圧倒的な存在感を放っていた。

 

 

あなたの家の錠前は大丈夫か 流しの窃盗団警戒の季節に

(雪国TODAY2018年7・8月号/全文820文字/写真1枚)

財産と安全を守ることは今も昔も世界中の人たちの関心事。鍵をめぐる錠前師と泥棒のいたちごっこが水面下で続く。

鍵屋~玉屋~の花火の夏は流しの窃盗団警戒の季節。あなたの家の錠前でセキュリティは守れるか。(敬称略)

秋田市旭南のKeyセンターシイナ。一級錠施行技師の椎名剛

秋田市中心地の店舗。ドア交換工事に錠前師が立ち会った。「電気錠を勧めたい。従来の鍵では泥棒の侵入を防ぎきれない」 

秋田市旭南の椎名金物店Key センターシイナ。一級錠施行技師の椎名剛がビルオーナーに鍵を使わないキーレスの錠前を提案した。

 

今や錠前の交換は暗証番号、カード、リモコンによる施錠が主流になりつつある。

「鍵を使った錠前でピッキング(解錠)できないものはない」と椎名。鍵を使わず特殊器具ピックを使って解錠するピッキングは職人技。錠前師だけに法律で認められた正当な業務としてドアや扉、ロッカーなどのピッキングが認められている。

とはいうものの、「泥棒にも神わざに近いピッキング技術を持つ者がいる」と椎名。

秋田県警によると、秋田市内で今年1︱5月に発生した侵入窃盗は23件。県全体では73件で、このうち31件が一般住宅。42件が病院や事務所荒らしだった。

 

秋田市の昨年は65件が被害に遭っている。また、昨年の侵入窃盗は県全体で171件だったのに対して一昨年は378件と突出している。県警は県外からの流しの窃盗犯が県内に大量に入り込んだとの見方をしている。

 

最初の錠前がどこで発明されたかは定かではない。日本では江戸時代に仕事が激減した刀鍛冶によって和錠と呼ばれる豪華な装飾と高機能な防犯性を備えた独特な錠前が作り出されている。

 

椎名金物店は昭和22年の創業。当初の店名は「椎名のこ」。のこぎりを製造していたが、需要が減少したことで錠前の専門店に。江戸時代の刀鍛冶が錠前製造に移行した経緯と似ている。

 

錠前師と泥棒のITを駆使した新たな闘いが始まっている。みなさん、戸締りをお忘れなく。