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久保田城 ソメイヨシノの記憶

(雪国TODAY2018年4月号/全文1030文字/写真2枚)

寿命がほぼ尽きた本丸のソメイヨシノ。樹勢の衰えが激しい

 

いにしへの 朽木のさくら 春ごとに あはれ昔と 思ふかひなし

源 実朝

意味=朽木となった昔の桜は、春ごとに、ああ、昔は美しく咲いただろうに、と偲ばせるが、今や見る甲斐もないことだ。

作者=源実朝=みなもとのさねとも(1192~1218)28歳。12歳で鎌倉幕府の征夷大将軍となる。鶴岡八幡宮で暗殺された出典=金槐和歌集

桜前線の北上でつぼみが膨らんできた久保田城(秋田市千秋公園)のサクラの老化樹勢の衰えが一段と進んでいる。二の丸から石段の長坂を登り、表門をくぐり本丸に出た。坂の途中、土塁の表土は流出してマツやサクラの根が露出している。本丸裏門までの右手の小道は、樹勢が衰えたサクラの並木が続く。朽ちた伐根も。枯れた枝の剪定も目立つ。表門正面の御白州跡の広場も状況は同様だ。

 

久保田城のサクラは1892 年(明治25年)、後に第2代秋田市長となる羽生氏熟を総代とする有終会が植えた1,170 本が始まり。有終会のメンバーは粋な人たちの集まりだった。こんな逸話もある。「植えるなら秋田市のシンボル太平山の標高1170㍍と同じ本数にしよう」。ソメイヨシノの寿命は60 年とも80 年とも。植林から120 年。もうとっくに、この時植えたサクラの寿命が尽きていてもおかしくない。

 

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