バックナンバー

彼は南太平洋の島からやって来た もう一人は華麗なラグビーを追い求めた 秋田ノーザンブレッツ 二人の原点

(雪国TODAY2017年10月号/全文3870文字/写真19枚)

秋田市の東北電力運動公園でセタレキ監督を囲むノーザンブレッツの選手たち

秋田市にある雄物川河口の東北電力運動公園に照明が点灯した。仕事を終え三々五々集まったフィフティーン。更衣室でユニフォームに着替えるとピッチに飛び出し、彼を取り囲んだ。

彼は南太平洋のフィジーからやって来た。ラグビー・ワールドカップ2回出場、世界にその名を馳せた国民的英雄、往年の名フランカーだ。

 

 

その彼を見いだしたもう一人は、1年生で大学選手権出場を果たし、明治大学を優勝に導いた。フィジーの華麗なプレースタイルを選択した秋田ノーザンブレッ(北の弾丸)の2017シーズンが始まった。2人の原点を見た。

開幕戦で大幅な戦力強化を図った清水建設ブルーシャークスに後半逆転され、続くヤクルトレビンズに大敗した。フォワードとバックス陣との
連携、ラインアウト、パスワークなど細かいミスが響いた。

華麗なラグビーは遠かった。「秋田に帰ったら基本練習を徹底したい。目指すランニングラグビーは正確なパスが大切。そしてペナルティを最小限にしなければ‥」と初采配を振るった彼は唇をかんだ。

フィジーのクラブチームで活躍していた彼は1992年から2003年までナショナルチームに所属。ポジションはフォワード第3列のオープンサイドフランカー、時にナンバー8も。チームの要だ。この間にワールドカップ出場2回。国際試合出場は31キャップ(試合)。フィジーで彼の名を知らない者はいない国民的英雄だ。

現役時代、世界のラグビーの潮流を変えたセタレキ監督

秋田市在住のセタレキ監督と家族

03年ワールドカップを最後にフィジー代表チームを去り、その年秋に来日した時は36歳だった。社会人の強豪日野自動車に加わり、翌年からコーチ兼任選手として現役を続行している。その後、39歳で設立3年目のノーザンブレッツに転籍。41歳から選手兼サポートコーチとしてチームを支え、今季から監督に就任している。

秋田市国際交流員を務める彼は、同郷の妻ティアナと秋田国際教養大学で学ぶ長女、秋田工業高ラグビー部員の長男、将軍野中ラグビー部員の2男、それに小学生の2女と秋田市に在住している。

監督就任の打診を受けた昨年、一家は久しぶりにフィジーに里帰りしている。
「私と妻の実家がある首都スバの公園ではストリートラグビーが盛んに行われていた。子どもたちも大人も楽しそうだった。3対3に別れ、1本のラインを越えると得点。スクラムはない。タッチラグビーです。のどかな光景だった。リオデジャネイロ五輪の7人制ラグビーでフィジーが金メダルを獲得した理由がわかった気がした」

続きを読む(只今準備中)

お〜い マツタケ出て来い! 松茸山の落札大暴落 横手市雄物川町 きのこ紀行

(雪国TODAY2017年10月号/全部3800文字/写真13枚)

この日の団体客は長崎県の一行。厨房で品定めをする料理長の顔が険しい。手に取ったパックの中は3本の岩手県産マツタケ。「うーん、香が少し弱いかな。やっぱり地元産の朝採りが良い」。

松茸(まつたけ)山が風前の灯火の横手市雄物川町の雄川荘で「松茸料理まつり」が始まった。が、減り続ける雄物川町の今宿、沼館産の松茸。「お~ぃ、マツタケ出て来い!」。料理長が困っていた。(敬称略)

マツタケ収穫の季節となったが…

松茸まつりを1週間後に控えた雄川荘の厨房。料理長の丹正志(60)が腕を振るっていた。「せっかくマツタケの産地、しかも松茸料理の雄川荘にはるばる来てもらった。香だけでもね。お吸い物で味わってもらいたい」

とはいえ、いまや雄物川町のマツタケは松茸山のアカマツの高齢化、マツクイムシ

の被害で風前の灯火だ。

 

 

秋田県内のマツタケの最大産地の今宿、沼館集落は出羽丘陵の東側斜面。県内で唯一、松茸山があり古くから住民が入会(いりあい)権を設定。松茸山は住民の入札によって利用権を決めてきた。

 

入会権とは、村落共同体などが、山林原野の土地を所有し、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習法。

雄物川町産の松茸を待望する丹料理長

「松茸山は入会地の入札制度によって守られてきた今宿、沼館のかけが

えのない財産。入札制度があってこその松茸山」と丹料理長。

 

「私の義父も松茸山を落札していた。収穫期になると家族で、あるいは友人を招き山小屋で逆さ松茸酒を楽しんだ。マツタケを炭火で焼いて逆さにして傘の部分に日本酒を注ぎ込む。美

味かったな。その味覚は料理人としての原点。松茸料理が名物の雄川荘で

は野趣あふれる料理を提供している」

 

しかし、マツタケは岩手県産や輸入品に頼らざるを得ない。かつて五輪金メダリストの髙橋尚子も参加した雄物川松茸マラソンも途絶えて8年になる。

「賞品のマツタケが採れなくなった。他県産を賞品にするわけにはいかない。残念だ」と横手市まちづくり推進部の佐藤健一郎。

 

2枚の写真がある。入札制度を聞こうと今宿の小沢秀宏(70)を訪ねた。

 

——この写真は我が家の松茸山で30年前に撮影したもの。収穫したマツタケを誇らしげに並べているのは長男。もう一枚は松茸山を取材に来たテレビ局の記念写真。

見事な太さの立派なマツタケだ。今はこんな大きなマツタケは手に入らない。このサイズが当たり前。それほど雄物川産は素晴らしかったーー

雄物川町の収穫量は1975年1234㌔、80年862㌔、85年642㌔、90年410㌔。

続きを読む(只今準備中)