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サハリン 遠き祖国北方の島々 白神の麓から姉と弟 美しい自然記憶の彼方に

(雪国TODAY2017年9月号/全文1860文字/写真7枚)

87歳の姉の顔に深いしわが刻まれていた。鼻腔から酸素呼吸の管を取り外し、布団の上に正座した。「サハリン(樺太)、あの美しい北の島々の風景と幸福だった暮らしを思い出す…」。敗戦直後の樺太引揚げ者の苦難を特集した新聞を指差しながら語り始めた。白神山地を貫く青秋林道。秋田県側の始点となる藤里町藤琴の深奥、金沢地区の質素な住まいで、姉と弟のサハリンの記憶をたどった。(敬称略)

七尾さん家族が暮らした美しい自然のサハリン(南樺太)

東京・京王線沿い府中市の蕎麦屋。なじみ客はお盆で帰省し、店内はすいていた。「今年はお盆に秋田に帰れなかったが、秋に姉の冬仕度の手伝いに行こうと思っている」と府中市在住の七尾勤(74)。

「そうだね。お姉さんは命の恩人だからね。白神の冬は足早にやって来るから」と登山が趣味の店主が応じた。

姉の成田(旧姓七尾)カツ子(87)は、終戦直後の樺太引揚げの際に幼い弟・勤を抱いて引揚げ船に乗船し、故郷の二ツ井田代に連れ帰っている。

弟の七尾勉さん(東京・府中市)

戦後72年、人生の終盤を迎えたサハリンからの引揚げ者。その多くの人たちに去来するものは過酷を極めた引揚げ時の苦難と同時に美しい自然、活気にあふれたサハリンの豊かな暮らしだ。

姉の成田カツ子さん(藤里町)

姉が話し出した。

――早春の海。家族で夜明けの海岸に出かけると海が鉛色になっていた。その鉛色がキラキラ輝いた。

 

それがうねり、塊となって岬の向こうから押し寄せた。ニシンの大群だ。波打ち際で長靴をはいた父や母がタモを操りシンを次々とすくいあげていく。

私はバケツでニシンを海辺の小屋に運んだ。海と山が朝日を浴びて輝いている。それは美しい光景だった。そんな日が1ヵ月も続いた。ニシンの季節が終わるころ、海岸線に北方の花々が咲き始めた――。

明治38年、日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太は日本領に。多数の日本人が入植し、林業や漁業、製紙産業などで栄えた。太平洋戦争開戦の昭和16年12月の国勢調査では40万6577人が暮らしていた。

 

――太平洋戦争が始まっても平穏だった。女学校では日本人、ロシア人、朝鮮人が一緒に学んだ。南樺太でずっと幸せに暮らしていけると信じて疑わなかった。

 

しかし昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に侵攻したことで入植者らの人生は大きく変わる。

 

樺太への侵攻は11日から始まり、ソ連国境近くの古屯(ことん)付近で日本軍と戦闘になった。北部の住民が南部に避難してきたが、七尾家が暮らした南樺太西海岸の拠点都市ホルムスク(旧真岡)から南へ一駅のネベリスク(旧本斗)は空襲もなく、今ひとつ戦争の実感はなかった――。

 

8月15日正午。女学校の同級生と一緒に勤労動員先の飛行場近くの寄宿舎で玉音放送を聞き、終戦を知った。

 

 

――8月18日のことです。ソ連の飛行機が家の屋根すれすれの低空飛行で飛来。警報がけたたましく鳴った。両親は急ぎ食料と身の回りの物を持って家族と近所の人たちと山へ逃げた。

 

ソ連軍が民間人にも無差別に発砲しているとの情報があった。ソ連軍の攻撃は続いた。

20日には、ホルムスクにソ連軍が上陸。内地への引揚げ命令が出た22日、ソ連軍は樺太庁のある豊原市(現ユジノサハリンスク)を爆撃、100人以上が死亡した。その後、真岡郵便局女子職員9人がロシア兵の暴行の恐怖から青酸カリで自決したとの情報も。

州都ユジノサハリンスク


 ネベリスクの自宅に引き返した父は捕虜となり、終戦から2年後に故郷・二ツ井田代に帰還した――。

 

8月22日、コルサコフ(旧大泊)港から婦女子や老人を本土に送還させるため出航した小笠原丸、第2振興丸、泰東丸が国籍不明の潜水艦の攻撃で沈没。乗員乗客約1700人が犠牲になった。

 

――真岡港に到着した時、既に引揚げ船は出航した後で桟橋は乗り遅れた人たちであふれ返っていた。その中に幼い子どもたちがたくさんいた。

 

置き去りにされたのではなく、親たちが引揚げの危険を考えて子どもたちを現地のロシアや朝鮮の人たちに託したのだと思った。私は自宅のあるネベリスクに引き返した。その数日後の夜半、小さな漁船に20人がぎゅうぎゅう詰めになって稚内に向かった。

その日の梅は荒れていた。私は2歳の弟・勤を抱きかかえて海を渡った――。

 

府中市の蕎麦屋。七尾は「姉の住む藤里は、もうすぐ“白神おろし”の風が吹く季節になる。姉はこの風を潮の香がするという」と話し、「シベリア、サハリンからの季節風が白神山地を越えて藤里に吹いた時、姉に美しい北方、樺太の島々の風景がいきいきとよみがえる」と付け加えた。