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花の百名山 森吉山をゆく ゴンドラで一気に山人平へ ベニバナイチゴと母グマと子グマの逸話

(雪国TODAY2017年7月号/全文1500文字/写真12枚)

森吉山・山人平のチングルマの群生。高山植物の開花ピークを迎えた(写真は北秋田市提供)

山人平(やまびとだいら)を麓からの風が吹き抜けた。山霧が流れ、視界が開けるとチングルマの群生エリアだった。はるか頭上に残雪の山頂も見える。秋田県阿仁スキー場のゴンドラ山麓駅から一気に標高1167㍍の山頂駅へ。花の百名山・森吉山(1454㍍)が高山植物の咲き誇る絶好の季節となった。

 

ゴンドラで山頂駅へ

ゴンドラから降りた大勢の登山客でにぎわう山頂駅。眼下に広がる広葉樹の森は、クマと阿仁マタギの壮絶な闘いの舞台となった「邂逅(巡り会い)の森」。ゴンドラのスタッフが「森吉山山頂まで1時間半。高山植物を楽しんでほしい」と呼び掛けている。「今回の山行の目的はヒナザクラ。東北の山で、あの可憐で小さな花と巡り会いたい」。大阪からの一行が登山ガイドを先頭に山頂を目指した。もっと草花を知っていれば夏山登山の楽しさは倍増すると考える人は多い。北秋田市観光物産協会スタッフで登山ガイドの大川美紀さんの一行に加わった。


 


大川さんは日本山岳ガイド協会認定ガイドで北東北山岳ガイド協会会員。山頂駅から最初の休憩地点となる石森へ。木道沿いの草花を見ていると、「皆さん、この黄色い花の名前わかりますか。正解はオオバキスミレ」と大川さん。

「名前の由来は大きい葉の黄色いスミレ。どうしてこんな素っ気ない名前の高山植物が多いのでしょうか。それは、かつて日本の山は男性の世界だったから。山男にセンスがなかったのね。エーデルワイスとか、こんな素敵な名前の草花がたくさんあったら日本の山はもっと早く多くの女性に愛されていたかも」

「ほら、この花がイワカガミ。こっちがツマトリソウ。ツマトリソウって面白い名前ね。白い花びらの縁がピンクになっていることから付いた名前。でも残念ながら森吉山ではピンクの縁取りがほとんど見られない。

女性の着物の褄(つま・端)に見える色から命名した」と大川さん。いずれにしても山男が花の美しさに見惚れてツマトリソウの名前を付けた。

ベニバナイチゴ

チングルマの綿毛

ハクサンシャクナゲ


ヤエノチングルマ

シラネアオイ

イワカガミの群生


阿仁地方に色濃く残るマタギの文化。江戸時代の紀行家・菅江真澄は2度森吉山に登っている。そのときの一首が山頂下の石碑に刻まれていた。

 

秋田山

いわねのむろい

折りかざし

雲ふみわけて

かえるかち人

 

「北前船の航海で目印となっていた森吉山では、はるばる登って来た人が尾根に生い茂るモロビ(アオモリトドマツ)の枝を折り、背負いかざして、晴れ晴れとした表情で帰っていく様子を詠んだ」と大川さん。モロビはマタギ文化では神聖な樹木だった。

サム工房・二人の物語 佐竹小路の穏やかな午後  千秋公園のお堀端 共に歩んできた日々 

(雪国TODAY2017年7月号/全文5000文字/写真21枚)

造形作家の佐々木勇と妻で彫金・ジュエリー作家みよこ

造形作家の彼は象潟の浜を歩きながら作品の構想を練っていた。彫金・ジュエリー作家の彼女はテーブルの上に置かれた宝石の原石ラピス・ラズリを飽きることなく見詰めていた。

 

秋田市の千秋公園の堀端にあるサム工房32年目の初夏、窓から見える一本のケヤキがうっそうと葉を茂らせている。芽吹きの季節に合わせてリニューアルに着手した工房はほぼ作業を終えた。平穏で静かな暮らしの中から作品を生み出したいという2人の物語を伝える。

 

穏やかな初夏の昼下がり、美術・音楽棟に向かう和洋女子高校の生徒が坂の途中にあるサム工房地階入り口ドアのフクロウのレリーフをなでていく。「このフクロウをなでると幸せになれるよ」と女子高生。彼が25年前に制作したフクロウのブロンズ製レリーフは、いつの頃からか「幸せのフクロウ」と名付けられ、伝説になっているという。


秋田駅トピコ3階の喫茶店「驛舎」。フクロウが描かれたレリーフが面に掛けられている。その他にも数点、彼の作品。目を留めた客に、「友人の作家の作品」とマスターが誇らしげに声をかけた。

 

秋田市の大森山動物園のシンボルとなっている「キリンの母子像」。キリンの母子のブロンズ像は、愛情あふれるキリンの親子の一瞬をとらえている。

造形作家の佐々木勇。1957年、秋田県にかほ市象潟町生まれ。由利工業高校卒業後社会人を経て工芸を学びモノづくりの世界に入る。金属や木工の作家を目指し、最初に大曲高等職業訓練校インテリア科へ。次に秋田市立美術工芸専門学校デザイン科。それから同校金属工芸科へ。

 

工芸の道へ進むために8年間で3科の卒業証書をもらったときは28歳になっていた。卒業と同時にサム工房をオープンしている。

サクラの季節に合わせ、お堀端の工房を家族でリニューアル

古い2枚の写真がある。そのうちの1枚に工房オープン後の初々しい彼が映し出れている。作品をテーブルに並べ、自信に満ちあふれている。

その5年後には秋田県立能力開発専門学校建築科も卒業した。「造形作家として生計を立てるためには木工、建築を学ばなければ自立できないことを痛感していた。作品を建築物と融合させるためには建造物への高度な知識が必要。そして金属と木材とを融合した作品を制作するためにはインテリアや家具への深い造詣が欠かせない。表現、仕事の幅を広げたかった」と佐々木。
短大から4年制大学に移行した秋田公立美術大は、金属工芸、木工工芸の専門家を必要としていた。

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かつての棚田 じゅんさい沼に 時間が止まったように のーんびり 生産量日本一、秋田県三種町を訪ねる

(雪国TODAY2017年7月号/全文935文字/写真4枚)

棚田を改良したじゅんさい沼で、小舟を操って摘み取り

夏の味覚じゅんさい

時間が止まったようにのんびり、静かな山里の風景。摘り子(とりこ)が浮き葉に覆われた沼を一本の棒で小舟を操り、「じゅんさい」を収穫している。沢水で摘み取ったばかりのじゅんさいの若芽を洗って口の中に入れた。

ツルッとした食感、喉越しが夏の盛りを感じさせた。生産量日本一の「じゅんさいの里」秋田県三種町の森岳地区を訪ねた。

じゅんさいはスイレン科の多年草。万葉の時代から高級食材として珍重されてきたが、今や国内で消費される80%は中国産。国内産のほとんどが森岳産で生産量は約470㌧。266戸の農家が200を超える池や沼で栽培している。販売額は約5億円。

じゅんさいが生息していた国内各地の沼は、生活排水や農薬の影響で大半が絶滅した。清らかな水にしか生息しない水性植物じゅんさいは多糖類に富むゲル状に包まれ、葉にはポリフェノールが30%以上含まれる健康食材。加えて低カロリーだ。

 

かつての棚田がじゅんさい沼に代わって成功している。

下岩川芹沢の北林農場のじゅんさい沼。「栽培を始めて40年になるかな」と摘み取り作業を終えた北林辰男さん(70)。

 

「コメの減反政策が始まって、このままコメだけでは生きていけないと直感した。それで棚田をじゅんさい沼に改良したわけだよ。これが当たったんだな。沢の上流から冷たい水が流れて来る。6枚の棚田が5月の始めから順番に下から収穫期を迎える。じゅんさいは水温が上がると駄目。水温28度が限界かな。水温との闘いだ。白神山系の豊富なミネラルを含んだ冷たい沢水がじゅんさいに最適だった」

平地のじゅんさい沼は、年々上昇する沼の水温に悩まされているという。摘り子の嶋田ヨシ子さん(79)は「じゅんさいを摘み取り始めて40年。いつの間にか立派なおばあちゃんになった」と笑い、「浮き葉をかき分けてじゅんさい沼を散歩している感じ。きょうの収穫は10㌔かな」

じゅんさいが豊富に生息していたころの角助 

      

じゅんさいの大生息地だった「かっぱ伝説」の角助沼と惣三郎沼。生活排水や農薬に汚染されてじゅんさいは絶滅状態。その代わりに角助沼はバス釣りの好ポイントとなり県外からも釣り客が訪れる。

惣三郎沼は住民が憩う公園となっている。

バス釣りのポイント角助沼

 

托鉢の僧侶に思索の時流れ

(雪国TODAY2017年12月号/全文700文字/写真1枚)

一瞬、墨絵の世界に引き込まれた。僧侶の一団が向かい風に身をかがめながら足早に歩を進めている。(敬称略)

寺町から通町へ。網代笠(あじろがさ)を風に飛ばされないように抑える手は使えない。ただ首を傾けてバランスをとっている。ある者は鈴を鳴らし、ある者は合掌し、ある者は杖を力強く突きながら経を唱えた。

 

 

秋田市内の若手僧侶でつくる秋田市曹洞宗協心会の托鉢(たくはつ)が、小雪舞う師走の街で5日間にわたって行われた。

 

托鉢とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の一つ。信者の家々を巡り、自らの生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)。

街を歩く連行、あるいは街角に立つ辻立ちも。信者に功徳を積ませる修行だ。

 

経を唱えながら鱗勝院の三浦史道(33)は思った。この日、午前中に執り行われた葬儀。「亡くなったとの知らせで駆けつけた。80代半ば。眠るように穏やかな表

情。この人はどんな人生を歩んだのだろうか」

史道の修行は福井の曹洞宗総本山・永平寺で3年半に及んだ。

 

 

同じ鱗勝院で修行を積む佐々木孝淳(26)。もう一つの曹洞宗総本山・総持寺の雲水だった。右手の鈴を力いっぱい振った。

「寺族でなかった父は、私が物心のついたころに出家。今は金浦町で住職を務めている。父はなぜ、僧になったのだろうか。そして自分も父の背中を追っている」

 

なおも雪が降り続いている。足早の連行。托鉢の僧侶たちに思索の時が流れていた。

1年を振り返る師走。ついでに人生も振り返ってみようか。誰にも訪れる死、あの世とこの世を考えてみるのもいいかも。

 

 

ニッコウキスゲの真実 植物図鑑の記述間違い 秋田市の登山家突き止める

(雪国TODAY2017年7月号/全文1760文字/写真8枚)

朝開花し、夕方に閉じる一日花として多くの登山者らに愛されているワスレグサ(ユリ)科ニッコウキスゲの真実が明らかになった。高山植物の花々の手引きとなる出版各社ガイド本の記述の間違いを2年がかりの観察で、秋田花の会の会員が突き止め、その間違いの指摘の正当性を日本植物学会も認めた。だが、出版各社はこの指摘に対して沈黙したままだという。

午後5時堀さんが撮影した鳥海山のニッコウキスゲ

翌日午前零時

出版各社の記述の間違いを指摘したのは、秋田市の矢留山岳会前会長で「秋田花の会」に所属する秋田市将軍野の堀等さん(74)。

堀さんが間違いと指摘しているのは「散歩の山野草図鑑350種(山田隆彦著)」「山野草ガイドブック(高 午後8時 橋秀男監修)」「したたかな植物たち(多田多恵子著)」
など秋田市内の書店で購入した高山植物ガイドブックの5冊。5冊ともニッコウキスゲの花は「朝に開いて夕に閉じる」と記述している。

翌日午前3時

葉から1本の長い花芯が直立。上部は2分岐して各先端に3~4個の花をつける。花被は濃い橙黄色で、次々と別の花が開くので全体として花期は長く群生全体がオレンジ色に染まる。


翌日午前6時

花びらは6枚。朝開いて夕方には閉じる一日花。花言葉は「晴れた日の喜び」。属名のワスレグサは「忘れ草」で、この名は万葉集にも登場している。


翌日午前10時

堀さんは「秋田市内の書店に並ぶ5冊のガイドブックを購入した。問題なのは開花の時間。購入した全てが開花時間を朝咲いて夕方に閉じる一日花と記述している。

これまでの登山経験からおかしいなと直感した」と話す。
堀さんは1昨年と昨年の夏、八幡平と鳥海山のそれぞれ同じ場所でニッコウキスゲを観察。1本を選んで写真撮影を試みた。一人テントを張っての徹夜作業だった。

写真は2016年6月27日午後5時から翌28日にかけて鳥海山7合目鳥ノ海御浜神社周辺で撮影した6枚。午後5時に開いたままの花は午後8時になっても閉じていない。日付けが代わって28日午前零時に変化はみられない。午前3時になっても状況は同じで開花したまま。午前6時に左上の花びらがしぼみ始め⑤、午前10時に5枚の花びらが閉じた。

ニッコウキスゲの開花時間を突き止めた堀さん

堀さんによると、2年間計4回の観察で同様の結果だった。「新品種の
可能性がないわけではないが、ガイドブックの記述の間違い」と確信した。

堀さんの日本植物学会への質問(略)
ーー私は若いころから秋田市にある矢留山岳会に所属し、高山植物を観察してきました。5年前からは秋田花の会にも入会し、高山植物の撮影を楽しんでおります。


私の手元にある植物図鑑には、ニッコウキスゲは朝咲いて夕方閉じると記述 しています。私が見てきたニッコウキスゲとは違うのではないかと思い2015、2016年の2年間、鳥海山と八幡平で調査しました。

1時間に1回の割合でインターバル撮影した約60枚の写真を送ります。品種が違うのか、図鑑の記述が間違っているのかお尋ねします。

日本植物学会の返答(略)
——ご連絡ありがとうございます。こちらでも「ヤマケイハンディ図鑑2山に咲く花」などで、朝開花し、夕方に花が閉じると記述していることを確認しました。

 

 

その一方、ニッコウキスゲの研究をしている間違いを指摘された植物図鑑
専門家の報告書に、「開花時間の詳細が分かっていなかったニッコウキスゲでは、花寿命が朝開花し翌日の朝閉じの24時間であることと同じ仲間のエゾカンゾウでは朝咲き2日後の朝閉じの48時間である」という記述があることを確認しました。

この報告書は研究者のもので正しい情報だと思います。堀さんの観察結果が正しいということになるのだと思います。図鑑は多くの植物を小数の人で書いているため、中には思い込みで間違ったことを書いてしまうことがないとも限りません。

堀さんは、同様の質問を各出版社にも出したが返事はない。「ニッコウキスゲは夏山を彩る最もポピュラーな植物。間違った記述をしたまま出版を続けられては困る。少数の人たちで編集作業をしているというが、だからといって間違いを放置していいわけがない」
と話している。
雪国TODAY2017年7月号